【書き起こし】随筆・ユーモアと奇術(長谷川智、1954年)

投稿者 :和泉圭佑 on

奇術を観に来る人の気持は『何か面白い演技を見て笑ひたい』といふところにあるらしい。

単に『不思議さを楽しみたい』と思ふのは少く、『タネを見破ってやらう』はやゝ多く居る。そして『奇術を見て笑おう』とする人が、一番沢山居るのである。
それ故、舞台人は『如何に笑ひを盛るべきか』に苦心し、『大衆を娯〔たの〕しませる事』に専念する。 

志智双六〔しが・そうろく〕氏は、笑ひを『大笑』『高笑』『微笑』『苦笑』『嘲笑』『冷笑』『嬌笑』と多種多様に分けて、ユーモアとは『人間の善意とか、本人は至極本気でも人から見ると、そのシリアス(真面目)な言葉や行為が時に引き起す「おかしみ」から自然に誘われ出るものでなければならない』と云っている。
この説をそのまゝ鵜飲みにすることは出来ないにしても、一つの解釈として推考のヒントを与えてくれる。

無理におどけた表情はユーモアではない。
駄洒落も又、ユーモアではない。
悪ふざけは、一層ユーモアとは云ひ得ない。
ユーモアとは『有情滑稽』であるのだそうだ。

或処〔あるところ〕に一人の変った奇術師がいた。手練技はほとんど出来ない不器用な人間であったが、いろいろの機巧による贅沢な装置器具を持っていて、異色のある演技を見せていた。
自分自身は世界的大奇術師であると思ひ、それらの装置は世界に類例のない素晴らしいものと自負していて、自身満々であったが、彼の演出たるや実に珍奇無類で、機械の自動装置とタイムラグなからしめるために『プリストパリス!!ハァーーイ』と長く尾を曳〔ひ〕く懸声で号令するあたりは、期せずして客の笑ひを買ひ、その珍技に拍手が湧き起るのである。
口上が又、大時代的な活弁ワンダフル調の名台詞で、これ又面白い聴きものであり、彼が真面目であれば真面目である程、観客は腹をよじって哄笑〔こうしょう〕し拍手を鳴らした。
器具が機械仕掛けである以上、失敗した時は取りつくろう方法がない。そこで彼氏、器具の傍に歩み寄り『ハテナ?仕掛けの調節を誤ったかナ?』とつぶやく。もうこのあたり観客の笑ひは最高潮に達し、大笑、高笑、苦笑、嘲笑が渦を巻く。
御本人は全く真面目であり、自分の言動が笑ひの種になっているとはほ露知らず、客は自分の妙技に感心しているとものと信じているのだから、おかしみは桁はずれとなって、それで人気があった。
これは自然のユーモアであるかもしれないが、本筋のユーモアとは違ふ。

舞台のユーモアは作りものでなければならない。作りものであって、作りものの匂ひのないものが最善である。上記の例話に於て、彼演者が、総てを知っていてその様に演出したのなら、大したショーマンであり、素晴らしいユーモアの所有者と云える。

本筋のユーモアを生み出す事は実に困難な仕業である。
『俺の奇術は巧いだろう』と自慢高慢何とやらの表現はいとたやすいが、自分が阿房〔あほう〕になって客を娯〔たの〕しませるようになるのは、一寸やそっとの修行で出来るものではない。
阿房〔あほう〕まではなれなくとも、せめてウィットとユーモアを完全に身につけるところまでは何とか行きたいものである。

 

『奇術世界報道』157号(1954年)より
書き起こし:和泉圭佑

※一部難読字には〔 〕で読み方を添えました


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